詩人・ミュージシャンの野村尚志君から
先日FBを通してひさーしぶりに連絡があった。
彼は今京都に住んでおり、
来年夏に京都拾得でライブをしませんかとの嬉しいお誘い!
それが実現すると、なんと20年以上ぶりの再会となる。
で、彼の音源を聞いたことがなかったので
何か送って〜とお願いしたら
さっそくCDが5枚くらいと詩集が2冊送られてきた。
CDはほぼ自主レーベルのようだけど
韓国やロンドンの路上でライブ録音したものは圧巻の迫力があり
また最近の作品はいい具合に枯れていてこれまたよい味わいがあった。
詩集の方は、彼のものが1冊と
もう一冊は「秋本潔詩集成」で彼が編集に関わったものらしい。
この2冊の詩集を読んだり(後者の方はまだ途中までですが)
いろいろ調べたりしていたら彼のこんなブログ記事の転載が出てきた。
----------------------------------
今年の最大の出来事は
私の中では
やはり詩をやめたことだろう。
これ以上は
詩を書いても変わっていけない
詩では自分が変わらない
というところまで来た
ということだ。
詩を辞めることでしか
変わっていけない
未来を自分が欲しているのだろう。
それは、おそらく
詩が身体表現ではない
ということも大きく影響してると思う。
映像、写真、それから歌うことも
ギターを弾くことも
身体表現だ。
口から発する
吟ずるということがない
近現代詩は
まあ、言葉ならなんとでもいえるわな、という弱さをまぬがれない
短歌、俳句は
吟ずる、口から発される言葉だ、ある意味で。
定型というのは
メロディだ。
まあ、まだこんな近代がどうのこうの、なんて言ってるようじゃだめだな。
もっと、先に行かないと。
河野裕子さんの短歌
一休宗純「狂雲集」を
読んでる。
表現はそのくらいの高みに行って
表現であることを
越えていかないと。
残る言葉は
肉体の伴った
いのちがけの言葉だけだよ。
人に伝わるのは
届くのは
生活を越えた肉体の
いのちがけの思いだけ。
あとの表現は
趣味や遊びみたいなもん。
-------------------------------------------
そうだったのね…
この転載がされている記事の日付を見ると
2011.1.30となっている
送られてきたCDの制作年も
今確かめてみたら2011年からだ
大学時代、互いに夢中で詩を書き
批評しあったことを思い出す
CDでのあの圧巻の迫力は
詩をやめた彼の叫びだったのだ
ということを今発見する
これはこころして対バンしなければ。
つーか、彼のライブ楽しみだな!!!
先日FBを通してひさーしぶりに連絡があった。
彼は今京都に住んでおり、
来年夏に京都拾得でライブをしませんかとの嬉しいお誘い!
それが実現すると、なんと20年以上ぶりの再会となる。
で、彼の音源を聞いたことがなかったので
何か送って〜とお願いしたら
さっそくCDが5枚くらいと詩集が2冊送られてきた。
CDはほぼ自主レーベルのようだけど
韓国やロンドンの路上でライブ録音したものは圧巻の迫力があり
また最近の作品はいい具合に枯れていてこれまたよい味わいがあった。
詩集の方は、彼のものが1冊と
もう一冊は「秋本潔詩集成」で彼が編集に関わったものらしい。
この2冊の詩集を読んだり(後者の方はまだ途中までですが)
いろいろ調べたりしていたら彼のこんなブログ記事の転載が出てきた。
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今年の最大の出来事は
私の中では
やはり詩をやめたことだろう。
これ以上は
詩を書いても変わっていけない
詩では自分が変わらない
というところまで来た
ということだ。
詩を辞めることでしか
変わっていけない
未来を自分が欲しているのだろう。
それは、おそらく
詩が身体表現ではない
ということも大きく影響してると思う。
映像、写真、それから歌うことも
ギターを弾くことも
身体表現だ。
口から発する
吟ずるということがない
近現代詩は
まあ、言葉ならなんとでもいえるわな、という弱さをまぬがれない
短歌、俳句は
吟ずる、口から発される言葉だ、ある意味で。
定型というのは
メロディだ。
まあ、まだこんな近代がどうのこうの、なんて言ってるようじゃだめだな。
もっと、先に行かないと。
河野裕子さんの短歌
一休宗純「狂雲集」を
読んでる。
表現はそのくらいの高みに行って
表現であることを
越えていかないと。
残る言葉は
肉体の伴った
いのちがけの言葉だけだよ。
人に伝わるのは
届くのは
生活を越えた肉体の
いのちがけの思いだけ。
あとの表現は
趣味や遊びみたいなもん。
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そうだったのね…
この転載がされている記事の日付を見ると
2011.1.30となっている
送られてきたCDの制作年も
今確かめてみたら2011年からだ
大学時代、互いに夢中で詩を書き
批評しあったことを思い出す
CDでのあの圧巻の迫力は
詩をやめた彼の叫びだったのだ
ということを今発見する
これはこころして対バンしなければ。
つーか、彼のライブ楽しみだな!!!