水上勉「土を喰う日々」読了。
精進料理を基礎に、料理をするということの
奥深い意義を説いた随筆。
この方は和尚さんではなく小説家ですが
子供の頃、禅寺に修行に出された経験と
(たぶん)もちまえのセンスで
軽井沢の山の中、畑と相談しながらくりひろげられる
旬のレシピの数々や料理の極意が語られています。

「馳走」とは、畑や家の中を走り回って
旬のものを調達し、お客さんの嗜好を考えて
おもてなしすることなんだって!
スーパーに行けばなにもかもビニールに包まって
手に入るのは便利だけどやっぱり味気ないよなーと
こういう本を読むとつくづく思ひます。
旬のものを畑から取ってきて食べるという
昔ではあたりまえだったことが
今とても贅沢になっているフシギ。

あとときどき引用されている
道元禅師の「典座教訓」というのが
とても興味深く面白かった。
「典座教訓」は寺の料理係の作法や心構えを説いた書物のようです。

こないだ実家に帰ったら
「がばいばあちゃん」があって読んでみたけど
これもなんだか似ている感じがした。
なにが貧しくて
なにが豊かなのか
なにが不幸せで
なにが幸せなのか
あらためて考えさせられました。面白かったです。

以下「典座教訓」(解釈)の引用:
「すべて品物を調理し支度するにあたって、凡庸人の眼で眺めていてはならない。
凡庸人の心で考えてはならない。
一本の草をとりあげて一大寺院を建立し、一微塵のようなものの中にも立ち入って仏の大説法をせにゃならぬ。
たとえ、粗末な菜っぱ汁をつくる時だって、いやがったり、粗末にしたりしちゃならぬ。
たとえ、牛乳入りの上等の料理をつくる時に、大喜びなどしてはならない。
そんなことではずんだりする心を押さえるべきである。
何ものにも、執着していてはならぬ。
どうして、一体粗末なものをいやがる法があるのか。
粗末なものでもなまけることなく、上等になるように努力すればいいではないか。
ゆめゆめ品物のよしわるしにとらわれて心をうごかしてはならぬ。
物によって心をかえ、人によってことばを改めるのは、道心ある者のすることではない」

ハハーッ