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つづき:これを書いてる今だって、本当に2週間で退院なのか、それともいつ亡くなってもおかしくないのか、ぜんぜんわかりません。ま、人間の命って本来こういうものでしたね。
しかし、15年も会ってなかったおじいちゃんだけど、いざ会うと、子どもの頃のこととか、よくおんぶをせがんだこととか一緒に旅行をしてお菓子を買ってもらったこととか思い出しちゃって、強烈におじいちゃんを好きだっていう気持ちが感じられちゃって、たまらなかった。いきなり泣き出しても変だし、ひたすら窓の外を眺める。
今、清野さんの小説「デッドエンド・スカイ」読んでるんだけど、そのなかで、主人公が、世の中にざっと40億人もいる、一生の間に自分とまったく関わりのない人間を愛したり殺したりするにはどうするかっていうくだりがあるんだけど、例えば私はおじいちゃんとこの15年間一切会いもしないし音信不通状態で、だから仮に15年前におじいちゃんが死んでたとしても、この15年間の私の人生は現象的にはそんなに変わらないかもだけど、でも実際にはそんなことは全くなくて、そこには喪失感とかなんかよくわからないけど明らかに決定的な違いがあって、だからたとえ自分と全く関わりがない40億の人たちでも、いるといないとじゃ大違いのはずで、そう言う意味ではその40億の人々も愛せるなあと、今までは思いもつかなかった感情が私のなかでわきおこったのでした。
これまで、人が死ぬってどういうことなのか正直言ってあんまりわかんなかったというか、実感できなかったんだけど(ま、そう言う体験がなかったので…)、それって、その人にここに(この世に)居てほしいという強烈な願いと、それが叶わない、命あるものはいつかは必ずここから去って行ってしまうという現実に直面するっていうことなのでは思いました。
ちなみに余談ですが、おじいちゃんの入院してる病院は、なんと私が生まれた病院でした(母談)。約31年前にも私はここに居たと思うとなんか不思議。そして31年後にこんなふうにしてそこに居ることを、だれが想像したかね!う~む。

朝起きて隣に寝ているオガワくんに何曜日かたずねる。木曜日だと言うのであわてて燃えないゴミを出す。ちょうどお昼の12時。うちの近辺はゴミ収集車が来るのが異様に遅い。だからラッキー。ゴミ車が行ってしまって、悲しい思いしたことってまだないんです。
夕べの後かたづけをして(昨日は壮太氏&みおがワケあって来訪。)「ザ・セル」という映画を見る。現代版サンタ・サングレみたい。映像が超きれい。ストーリー的にはなんか無意味なかんじ。あ、失礼。今の私にはあんまり関係ないかんじ、といった方がいいかも。
見終わってからこの日記を登録した。
あ、そうそう今日のでぃな~はどうしよっかなー。カジキマグロが残ってるので、ホタテでも買ってきてシーフードのパン粉焼きにでもしようかな。ブロッコリーもいっしょに。あとミネストローネが食べたい!のでこれを作るとする。セロリとにんじんね。では買い物に行くとするか。
明日もこれ、ちゃんと書くかな。いや、書くぞ。
■8/24の日記のスペースが足りないので、23日分のスペースを拝借。
朝ごはんの用意をしてたらケイタイが鳴って、出たら母で、誕生日電話しなくて悪かったね~なんて世間話をはじめる。そのうちいかにもついでのようにおじいちゃんが入院したことを告げられる。聞くと相当容態が悪そうなのに、母は暑いから今日は来なくていいとか、訳わかんないことを言う。まだそんなに危ないわけじゃないと自分に言い聞かせたいのか、あるいはほんとに私に気を遣っているのか判断しかねたけど、私の方は超ヒマ人なので、横須賀の病院までお見舞いに行くことに。ちなみに私のじいちゃんばあちゃんたち4人は、全員一応健在なのです。
長生きの家系ですな。なんと約15年ぶり!に会ったおじいちゃんは、ミイラみたいになって鼻や腕やいろんなところからチューブを出してベッドに横たわっていた。おしっこさえも自分でできなくなってる状態を見て、あと1週間の命ですとかって例えば宣告されたとしても、まったく不思議じゃないと思ってしまった。でも病院のメモを見せてもらうと、予定入院期間2週間とある。なんだ、2週間で退院できるのか…。普段、死とかそういうものと全く縁のない生活なので、果たしてこの88才の老人にどれほどの生命力があるのかなんて、皆目検討がつかない。

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