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ごはんを作るって、私にとって生きるっていうことの暗喩だと思うのね。人間、別に自分でごはんを作らなくったって、コンビニで買ってきてもいいし、どこかで外食しても生きていけるんだけど、そこをあえて、材料を買ってきたりあるいは冷蔵庫の中の残り物を利用したりして自分で献立を考えて、包丁で野菜を刻んだり、鍋でぐつぐつ煮たりして、料理をする。できあがったものをおいしいとかまずいとかいいながら食べる。ひとりで食べる時もあるし、だれかに食べてもらえば幸せは2倍。その人のために少しは役に立ってるかもしれない。とにかく人間、食べなけりゃあ絶対に生きていけないし、どうせ食べるなら確固とした愛のあるものを食べたい、それは自己愛でもいいし恋人への家族への愛でもいい。
そして、料理の宿命として面白いなと思うのが、料理それ自体はとても刹那的だということ。熱いスープはあっというまに冷めちゃうし、どんなにおいしいものでも腐ってしまえば見る影もなくなってしまう。CDや映画のフィルムのように、料理の味やシチュエーションそのものを記録しておくメディアってないと思うのね。なのに、あるいはだからこそ?おいしかったという記憶や、おかあさんの味とかは忘れることがない。まるでそういった記憶をつかさどる器官が、その料理の栄養から成り立っているかのようですな!
人間はやっぱりただただ生きていくことはできない。理論的には食欲と睡眠欲と性欲が満たされていれば、生命を維持することはできるのだろうけど。そんなの分かりきったことなんだけどね。生きるってそれ自体は、料理のようにとても刹那的で、睡眠だってセックスだってやっぱり同じで、ただただそれを繰り返してるってだけのことなんだけど、でも、私が生きるっていうのは、その繰り返しの中に、自分でこの手で意味を見い出して(つくり出して)いくってこと、それがごはんを作るっていうことと相似形をなしているのです。

しかし、そんな分かりきったことでも、突然一切合さい面倒臭くなっちゃうときがある。この世の中、コンビニやファミレスは街に溢れてるし、自分でしなくても、なんとなくそれっぽい人生を自動的に歩ませてくれる。職種を選ばなければお金を稼ぐのもカンタンだし、お金さえあれば住むところにも多分困らない。ときどきそういうイージーな人生と、自分の理想の人生を混同してしまいそうになる。今の世の中、そういうイージーな人生も体裁的にはさして問題なくうつるからね。だから、自分でいそいそと台所でごはんを作るっていうのは、私にとって、あーいけないいけない、ごはんだけでなくって人生そのものもこうやってしなきゃいけないのよね~と確認をするようなかんじなのです。ま、たまの外食も最高だけどね!(っつーか、お財布の中身を心配することなく高級レストランで食事ができる身分になりたいものだ、ははは。)

■ここって1日につき最大1000文字しか書けないので、今日27日分がふたつになってます。ややこしくてごめん。

昼過ぎに起床。そうちゃんは仕事に行ってしまったので、みおとオガワくんと3人でクルマで酒奉行へスパークリングワインの買い出しに。最近は暑いのでワインよりはこのスパークリングワインがお気に入り。みおっぺが酒奉行が安いと言うので連れてってもらった次第です。酒奉行の安いスパークリングワインをみおっぺと二人で買い占める。それから武蔵境駅近くの沖縄料理屋でランチ。あたしは沖縄そばをいただいた。かなりうまかった。3人で昼間からオリオンビールを飲んでしまう。イトーヨーカドーでぶらぶらぶら。今度は私の家へ行こうということで帰りかけたら、みおが4万円もの大金が入った財布をイトーヨーカドーの中の洋服屋に忘れてきて、慌てて引き返す。無事、財布をゲットして、うちに到着。今度は3人でみんなのゴルフ(プレステ)に没頭。あー、なんかもう書くのやんなってきた。
みおが帰っちゃたあと、ふたりで「ザ・ウォッチャー」を見る。キアヌはかっこいいけど、なんかつまんない映画だった。でぃな~はお菓子とビールでお腹が一杯でまたまた作る気がせず、残り物のミネストローネとトーストで済ませてしまった。しかし、甘いものは別腹ということでケーキを2つたいらげる。エクレアとフロマージュムース。うへ~なんか活字になるともうどうしようもない。
大好きなCBSドキュメントが始まらない。もう寝ちゃおうかな。なんか週末の疲れが出て、すべてがイヤになってきた。自分のやってることが信じられない。(こんな1日じゃ当たり前か…)そうこうするうちにやっとCBSドキュメントがはじまったよ。これを見て寝るとする。オガワはすでにおおいびき。

うちの近辺は、夕方5時になるとどこからともなく「夕焼けこやけのあかとんぼ~」の鐘のうたがきこえてくる。で、6時になると今度は「夕焼けこやけで日が暮れて、山のお寺の鐘が鳴る~」のうた。(あ、うちとおんなじだ!という人はご近所さんですね)この日は「赤とんぼ」の歌とともに起床。というのも金曜日の夜から、デザイナー大石夫妻と、うちで音楽をきいたりして朝まであそんでたもので。いや~、昨夜はジャミロクワイのカッコよさに脱帽(今さらという感じですね)。
でぃな~作る気がしなかったので、ふたりで井の頭公園へ散歩がてら、吉祥寺へ。給料日直後&夏休み最後の週末とあって、人が多かった。魚真という店で食事。魚の店なのに野菜ばかり食べてしまった。
食べ終わってまっすぐうちに帰る気になれず、ジェネラル高木壮太&ミオ家へバスで向かう。4人でTSUTAYAに行って「ラスベガスをやっつけろ」のビデオを、2人はまだ見てないと言うので借りてきて見る。見終わって小腹がへったので、やきそばやらタイラーメンを作って食す。このタイラーメン、ビーフンのインスタントラーメン(タイ製)なんだけど、トムヤム味がめちゃ辛くてうまい。ここ数年ずっとこれにはまりっぱなしで、常にうちにもミオ家にも常備してある状態。輸入食材屋で2コ128円とかで売ってます。(以前にも<a href=http://www.246.ne.jp/~sugapla/mangoknife/mango.html>マンゴー</a>で紹介したことアリ)この日はこのタイラーにかぶを入れて調理。これも美味。
ケーブルテレビで、007やらディスカヴァリーチャンネルやら、シスコのダンスコンテスト(水着の美女がひたすらヒップホップにあわせて踊る非常に高尚な内容ですのよ)を流し見してるうちに、帰るのがおっくうになってそのまま高木家に泊まってしまう。

つづき:これを書いてる今だって、本当に2週間で退院なのか、それともいつ亡くなってもおかしくないのか、ぜんぜんわかりません。ま、人間の命って本来こういうものでしたね。
しかし、15年も会ってなかったおじいちゃんだけど、いざ会うと、子どもの頃のこととか、よくおんぶをせがんだこととか一緒に旅行をしてお菓子を買ってもらったこととか思い出しちゃって、強烈におじいちゃんを好きだっていう気持ちが感じられちゃって、たまらなかった。いきなり泣き出しても変だし、ひたすら窓の外を眺める。
今、清野さんの小説「デッドエンド・スカイ」読んでるんだけど、そのなかで、主人公が、世の中にざっと40億人もいる、一生の間に自分とまったく関わりのない人間を愛したり殺したりするにはどうするかっていうくだりがあるんだけど、例えば私はおじいちゃんとこの15年間一切会いもしないし音信不通状態で、だから仮に15年前におじいちゃんが死んでたとしても、この15年間の私の人生は現象的にはそんなに変わらないかもだけど、でも実際にはそんなことは全くなくて、そこには喪失感とかなんかよくわからないけど明らかに決定的な違いがあって、だからたとえ自分と全く関わりがない40億の人たちでも、いるといないとじゃ大違いのはずで、そう言う意味ではその40億の人々も愛せるなあと、今までは思いもつかなかった感情が私のなかでわきおこったのでした。
これまで、人が死ぬってどういうことなのか正直言ってあんまりわかんなかったというか、実感できなかったんだけど(ま、そう言う体験がなかったので…)、それって、その人にここに(この世に)居てほしいという強烈な願いと、それが叶わない、命あるものはいつかは必ずここから去って行ってしまうという現実に直面するっていうことなのでは思いました。
ちなみに余談ですが、おじいちゃんの入院してる病院は、なんと私が生まれた病院でした(母談)。約31年前にも私はここに居たと思うとなんか不思議。そして31年後にこんなふうにしてそこに居ることを、だれが想像したかね!う~む。

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