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マンガを読むのが異様に遅いあたし。
「夜の大走査線」という映画を見た。なんか邦題が納得いかない。
原題はたしか「in the heat of the night」。
主題歌?の古いかんじのソウルがとってもいい。
映像もなんか時代を感じさせてかっこいい。
でもちょっとハナシができすぎのような・・・。
なんかの部門でアカデミー賞とっているらしい。
夜は惰性でテレビでやってたアルマゲドンもどきの映画を見てしまう。
明日は「タイタニック」を見てしまうのか?う~む。

ところで、もう葉月が終わってしまう。
やんごとなき私情があってなかなか作曲活動がはかどらない。
脳みそとけまくり、生活が性格がどんどん堕落していくぅ。
日記であんなエラそーなこと書いといて、ゴメンナサイ。

でも、とりあえず今日もでぃな~は作ったぞ。
渋谷のスペイン坂にホームズパスタっていうパスタ屋があるんだけど
そこのパスタすごくおいしいのね、
で、そこのを再現すべくやってみた。
あさりのトマトソースパスタ。
ソースはガーリックとオリーブオイルたっぷり。
そしてなんといってもこのソースの特徴は、最後にとろけるチーズ
(ピザなんかに使うあれね)を上からふりかけて
チーズがとろっとしたところでできあがり。
あんまり混ぜないようにしてパスタにかけます。コクが出て激ウマ。

あしたは大家に家賃をもっていかねば。
そうだ、明日は大家のことを書こう!

このたくさん改行して書いていくの、もしかして読みやすくていい?

みおっぺが貸してくれたマンガ、ムズカシすぎてあんまりよくわかんない。「気分はもう戦争」。あんま複雑なの弱いあたし。
今晩、われらがこばちゃんが三宿でDJするとのことで、行きたいんだけど、平日にぷらぷらしてる友人を探すのに難儀。ひとりじゃな~。
今日はひさしぶりに本題にでもふれてみるか。
今日のでぃな~は、鮭缶のポテトサラダとチキンのメキシカン風そしてビール。レシピはオリジナルだよ~ん。

■■鮭缶のポテトサラダ■■
鮭缶
ゆでてあらくつぶしたじゃがいも
オニオンスライス(水にさらす)
ケッパー(みじんぎり)
粒マスタード
マヨネーズ
塩・コショウ
市販のフレンチドレッシング

混ぜるだけ。全部マヨネーズであえるより、ドレッシングを入れた方が酸味も出ておいしいと思う。

■■チキンのメキシカン風■■
鶏もも肉
たまねぎ・にんじん・赤ピーマン
にんにく・タカの爪・オリーブ油
白ワイン少々
市販のサルサソース
クミン・バジル・チリペッパーなどメキシカンぽいスパイス

肉に塩コショウ・スパイスをふる。フライパンに油を熱しにんにく・タカの爪を入れ香りを出してから、千切りにした野菜を炒めて別の皿にあけておく。肉を同じ鍋で、まず片面にこげめをつけて、ひっくり返してから炒めた野菜をのせて、白ワインを少し入れて弱火で蒸し焼きに。皿に盛り付けて上からサルサソースをかける。うまいっす。
スパイスは、「メキシカン・シーズニング」っていうミックス・スパイスが輸入食材屋等で売っててこれ使ってます。超便利!オムレツにアボカドのサラダに豆のシチューにひと振りすればあらフシギ、あっというまにメキシカン。
で、これからお友達のウチに遊びに行くことになっちゃった。
ウンザリ娘も見たし、今日はこのへんで。

昨日から、ひたすらお菓子をバカ食いしながら小説やマンガを読みまくる。なんかそんな気分。(って、おい。)清野栄一氏の小説<a href=http://balearicsunrise.org/skyend/deadend.htm>「デッドエンド・スカイ」</a>を読んだ。ここのところ、ビデオで見た「ヒューマン・トラフィック」しかり、「ザ・ビーチ」しかり、同世代感を感じる作品が出てきてとても興味深く鑑賞してます。これまでは、自分の知らない世界を体験することによって色々なものを受け取ることが多かったんだけど、最近、ぼちぼち出始めたこういう同世代感の作品は、すでに知ってる世界を追体験することによって、色々なものを受け取ります。まあ、作り手の年代が自分に近付いた、というか自分がそういう歳になったということですな。
清野さんとは実は古くからの顔見知りで、初めてちゃんと話をしたのはインドのゴアで、なんとスピーカーを抱えた清野さんと偶然そこで会ったという…。最近もパーティーとかでよく会ってはいたんだけど、彼の小説を読んだのは初めて。私も学生の頃からバックパックを背負って一人旅をしたり、95年頃からはオガワくんとレイヴにすっかりはまって20代を謳歌してきたもので、インドのゴアしかり、やはり清野さんとどっかで同じような光景にやられて現在に至る身です。音楽と旅とレイヴ・カルチャーは、私の20代そのもので、それらと出会うことによって私は、この世界の認識を深めてきたような気がします。それは、そこから具体的になにか真実のようなものをつかみ取ってすべてが解決したとかそういう感じじゃなくて、そこにいてそれを体験することが、ひたすらエキサイティングでリアリティがあって、これまでの世界観がどんどん覆されたりして、楽しかったり大変だったりぐちゃぐちゃのカオスの中で、もしかしたらこれって信じていいの?っていうことを裏付けることが偶然にもいくつか起こっちゃったりするというような体験。「ザ・ビーチ」にしろ「ヒューマン・トラフィック」にしろ、私はそういう感じを描いているような気がしてならない。(「ザ・ビーチ」の小説まだ読んでないので読まなければ)

つづき:音楽と旅とレイヴ・カルチャー、この3つで気付いたことって全部、目には見えないけど、この世に確実に存在するっていうものばかり。否、この3つに出会って初めてそれらが、目には見えないけど、この世に存在するって確信したというべきですな。信じられる理由がそこにあったんだよね。不思議だな。
でもね、私が最近感じるのは、まだまだ道の途中だということ。「デッドエンド・スカイ」はじめ各作品のラストに漂うそこはかとない悲しさというか、喪失感ってのはそれなんだと思う。やっぱまだ解決しないことだらけ。というか、これから生きていくために知ってなきゃいけないことを、ああいうセンセーショナルな形で知らされちゃっただけなのかも知れない。だからすべてこれからともいえるのですよ。だから清野さんの言う「移動し続ける」っていうのも多分こういうことなんじゃないのかなと。で、みんなこれからその「移動し続ける」過程の物語を、また世に送りだしてくれるのではないかなと。あたしも稚拙ながらこの世代の担い手として、「移動し続ける」っきゃないですな。

ごはんを作るって、私にとって生きるっていうことの暗喩だと思うのね。人間、別に自分でごはんを作らなくったって、コンビニで買ってきてもいいし、どこかで外食しても生きていけるんだけど、そこをあえて、材料を買ってきたりあるいは冷蔵庫の中の残り物を利用したりして自分で献立を考えて、包丁で野菜を刻んだり、鍋でぐつぐつ煮たりして、料理をする。できあがったものをおいしいとかまずいとかいいながら食べる。ひとりで食べる時もあるし、だれかに食べてもらえば幸せは2倍。その人のために少しは役に立ってるかもしれない。とにかく人間、食べなけりゃあ絶対に生きていけないし、どうせ食べるなら確固とした愛のあるものを食べたい、それは自己愛でもいいし恋人への家族への愛でもいい。
そして、料理の宿命として面白いなと思うのが、料理それ自体はとても刹那的だということ。熱いスープはあっというまに冷めちゃうし、どんなにおいしいものでも腐ってしまえば見る影もなくなってしまう。CDや映画のフィルムのように、料理の味やシチュエーションそのものを記録しておくメディアってないと思うのね。なのに、あるいはだからこそ?おいしかったという記憶や、おかあさんの味とかは忘れることがない。まるでそういった記憶をつかさどる器官が、その料理の栄養から成り立っているかのようですな!
人間はやっぱりただただ生きていくことはできない。理論的には食欲と睡眠欲と性欲が満たされていれば、生命を維持することはできるのだろうけど。そんなの分かりきったことなんだけどね。生きるってそれ自体は、料理のようにとても刹那的で、睡眠だってセックスだってやっぱり同じで、ただただそれを繰り返してるってだけのことなんだけど、でも、私が生きるっていうのは、その繰り返しの中に、自分でこの手で意味を見い出して(つくり出して)いくってこと、それがごはんを作るっていうことと相似形をなしているのです。

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